| 士別(しべつ) |
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| 所在地 |
北海道士別市西3条8丁目 |
| 駅番号 |
○W42
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| 所属事業者 |
北海道旅客鉄道(JR北海道) |
| 所属路線 |
■宗谷本線(直通含む) |
| キロ程 |
53.9km(旭川起点) |
| 駅構造 |
地上駅 |
| ホーム |
2面2線 |
| 乗車人員 |
207人/(2024年) |
| 開業年月日 |
1900年(明治33年)8月5日 |
| 駅種別 |
直営駅(管理駅) みどりの窓口 |
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| 士別駅 |
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| 駅名標 |
コンコース |
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| 出札窓口 |
キハ261形気動車 |
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| 待合室 |
H100形気動車がホームに停車 |
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士別駅(しべつえき)は、北海道士別市西3条8丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。
電報略号はシヘ。事務管理コードは▲121813。駅番号はW42。
特急「宗谷」「サロベツ」含む全列車が停車する。
歴史
- 1900年(明治33年)8月5日:北海道官設鉄道天塩線和寒駅 - 当駅間延伸開業より終着駅として設置。一般駅。士別機関庫設置。
- 1903年(明治36年)9月3日:当駅 - 名寄駅間の延伸開業により途中駅となる。同時に士別機関庫廃止。
- 1905年(明治38年)4月1日:鉄道作業局に移管。
- 1912年(大正元年)9月21日:宗谷線に線名を改称。
- 1919年(大正8年)10月20日:宗谷本線に線名を改称。
- 1920年(大正9年)6月1日:馬車鉄道の士別軌道、士別-上士別間開通。
- 1925年(大正14年)6月6日:士別軌道、士別-奥士別全通。
- 1928年(昭和3年)9月:士別軌道動力化。
- 1935年(昭和10年)8月10日:駅舎改築。
- 1936年(昭和11年)10月21日:明治製糖(現在の日本甜菜製糖)士別工場操業開始。専用線3.1km(敷設は9月15日)。
- 1938年(昭和13年):士別貯木場完成。
- 1941年(昭和16年)9月26日:士別貯木場専用線1.5km使用開始。
- 1944年(昭和19年)6月:軍需指定の浅野セメント士別工場竣工、専用線敷設。士別軌道も分岐線で工場へ接続。
- 1947年(昭和22年):日本セメント(旧・浅野セメント)士別工場操業停止。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1959年(昭和34年)10月1日:士別軌道廃止。
- 1965年(昭和40年)10月:士別貯木場専用線廃止。
- 1966年(昭和41年)
- 8月30日 駅舎改築。RC造となる。
- 月日不詳:石炭荷卸場専用線約300m敷設。
- 1985年(昭和60年)3月14日:荷物取扱い廃止。
- 1986年(昭和61年)11月1日:貨物取扱い廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる。
- 2000年(平成12年):同年3月11日のダイヤ改正に伴う旭川駅 - 名寄駅間高速化に関連し、同日までに分岐器の重量化(引き続き両開き型)・ホームの嵩上げを実施。
駅名の由来
アイヌ語の「シ、ペッ」(大なる川)に由来している。士別川、剣淵川の両河川が合流し、天塩川となり、水量が増すためである。
駅構造 相対式ホーム2面2線を有する地上駅である。かつては単式・島式混合の2面3線を有していた。駅舎の一番向かいの3番線は冬期使用停止であったが、2023年3月現在は通年で使用停止中である。駅舎は東側(名寄に向かって右側)の名寄側に寄った位置にあり、各ホームは名寄側端にある跨線橋で連絡している。
直営駅であり、みどりの窓口、指定席券売機(クレジットカード専用)が設置されている。
管理駅として、和寒駅・剣淵駅・多寄駅 - 名寄高校駅間を管理する。
貨物および荷物取り扱い廃止までは、東側旭川寄りに長い貨物ホーム、西側に多数の副本線と広い貨物ストックヤードを有していた。また士別市街の北にある日本甜菜製糖士別製糖所まで、専用線が引かれていた。
また1959年(昭和34年)まで、上記の製糖所と本線を挟む東側にあった士別営林署管轄の広いストックヤード(土場)から、市街の外側を時計回りに迂回して、中士別を中継点に奥士別(士別市朝日町中央)まで、軽便鉄道の士別軌道線が通じ、朝日営林署管轄の士別森林鉄道と接続して、その森林資源等の貨物輸送を行っていた。この軌道は森林鉄道の開設以降、基本的に客扱いはしなかった。
のりば
| 番線 |
路線 |
方向 |
行先 |
| 1 |
■宗谷本線 |
上り |
旭川・札幌方面 |
| 2 |
下り |
名寄・稚内方面 |
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