JR東日本・榴ヶ岡駅
榴ヶ岡
(つつじがおか)
仙石線
仙台
→
榴ヶ岡
→
宮城野原
所在地
仙台市宮城野区榴岡5丁目11番1号
所属事業者
東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線
■
仙石線
キロ程
1.3km(あおば通起点)
駅構造
地下駅
ホーム
1面2線
乗車人員
3,362人/日(2024年)
開業年月日
1925年(大正14年)6月5日
乗換
仙台駅(仙台市地下鉄)
駅種別
業務委託駅
仙
仙台市内駅
榴ヶ岡駅
榴ケ岡駅(つつじがおかえき)は、宮城県仙台市宮城野区榴岡5丁目ある、東日本旅客鉄道(JR東日本)仙石線の駅である。
駅名標
島式地下ホーム
改札口
E131系800番台
入り口
自動券売機
歴史
1925年(大正14年)、仙石線の前身である宮城電気鉄道が仙台駅から西塩釜駅まで開通した際、榴ケ岡駅も同時に開業した。この時、駅の所在地は宮城郡原町であり、駅の施設は原町と仙台市の境界付近にあった。原町は1928年(昭和3年)に名取郡長町と共に仙台市に編入され、榴ケ岡駅は仙台市内の駅となった。
現在の榴ケ岡駅は仙台駅から数えて一つ隣の駅であるが、1952年(昭和27年)までは仙台駅と榴ケ岡駅の間に仙台東口駅[注 1]があった。
年表
1925年(大正14年)6月5日:宮城県宮城郡原町に宮城電気鉄道の駅として開業(北緯38度15分31.5秒 東経140度53分43.0秒)。
1928年(昭和3年)4月1日:原町が仙台市と合併。当駅も仙台市内となった。
1944年(昭和19年)5月1日:宮城電気鉄道が国有化され、運輸通信省所管の国有鉄道(国鉄)の駅となる。
1945年(昭和20年)5月19日:運輸省所管の国有鉄道(国鉄)の駅となる。
1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道(国鉄)の駅となる。
1970年(昭和45年)9月1日:自動券売機を設置[7]。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる。
1988年(昭和63年):住居表示が実施され、住所が宮城野1丁目となった。
1989年(平成元年)4月1日:仙台市の政令指定都市移行に伴い、同市宮城野区内となった。
1991年(平成3年):地下化工事のため、2代目駅舎を建設。
2000年(平成12年)3月11日:仙台トンネル内に移転し、地下駅化(北緯38度15分31.7秒 東経140度53分37.5秒、宮城野区榴岡五丁目)。駅位置は100メートルほど西に移動。
2002年(平成14年)12月19日:自動改札を導入。
2003年(平成15年)10月26日:ICカード「Suica」の利用が可能となる。
2010年(平成22年)4月1日:直営駅(陸前原ノ町駅所属榴ケ岡在勤)から業務委託駅(東北総合サービス)となった。
2011年(平成23年)
3月11日:東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の発生に伴い運用停止。
3月28日:あおば通駅から小鶴新田駅間の運転再開に伴い運用開始。
4月7日:同地震の余震により同区間が再び不通となり運用停止。
4月19日:同区間の再度の運転再開に伴い運用開始。
2024年(令和6年)10月1日:えきねっとQチケのサービスを開始。
駅構造
島式ホーム1面2線を有する地下駅である。
2000年(平成12年)の地下化以前は相対式ホーム2面2線で、下り2番ホームは踏切に挟まれた4両分ギリギリの長さしかなく、少しでもオーバーランすると、ホームからはみ出て、踏切上に停止してしまう構造だった。駅舎もとても狭く、1991年(平成3年)に改築されるまでは、木造の小さな駅舎で待合室もなかった。また、構内用踏切と外の踏切が非常に近くにあったため、改札を通らないでホームに行くことが容易にできてしまっていた。
当駅は楽天モバイル 最強パーク宮城から徒歩圏にあり、構内には東北楽天ゴールデンイーグルスの「非公認マスコット」Mr.カラスコなどが描かれている。改札からそのまま道なりに直進すると球場に到達できる出入り口は、Mr.カラスコのイメージカラーである紫に塗られており、さらにMr.カラスコとチームロゴが描かれている。
震災からの全面復旧以前に運行されていた快速(赤快速)は、プロ野球開催時も当駅を通過していた。
仙台地区センター管理の業務委託駅(JR東日本東北総合サービス委託)である。自動券売機と自動改札機(Suica、えきねっとQチケ対応)が設置されている。JRの特定都区市内制度における「仙台市内」の駅である。
のりば
番線
路線
方向
行先
1
■
仙石線
下り
石巻方面
2
上り
仙台・あおば通方面