| 安国(やすくに) |
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| 所在地 |
北海道紋別郡遠軽町生田原安国 |
| 駅番号 |
○A51 |
| 所属事業者 |
北海道旅客鉄道(JR北海道) |
| 所属路線 |
■石北本線 |
| キロ程 |
128.8km(新旭川起点) |
| 駅構造 |
地上駅 |
| ホーム |
2面2線 |
| 乗降人員 |
24人/(2014年) |
| 開業年月日 |
1914年(大正3年)10月5日 |
| 駅種別 |
無人駅 |
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| 安国駅 |
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| 駅名標 |
待合所 |
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| 跨線橋 |
H100形気動車 |
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| きっぷ運賃表 |
駅舎とホーム |
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安国駅(やすくにえき)は、北海道紋別郡遠軽町生田原安国にある北海道旅客鉄道(JR北海道)石北本線の駅である。
電報略号はヤニ。事務管理コードは▲122521。駅番号はA51。
歴史
- 1914年(大正3年)10月5日:鉄道院湧別軽便線留辺蘂駅 - 当駅間開業(軌間762mm)により下生田原駅(しもいくたはらえき)として開業。一般駅。
- 1915年(大正4年)11月1日:当駅 - 遠軽駅 - 社名淵駅(→開盛駅)間が延伸開業。
- 1916年(大正5年)11月7日:留辺蘂駅 - 社名淵駅間を1,067mm軌間に改軌。
- 1922年(大正11年)
- 9月2日:軽便鉄道法廃止により湧別線に線名改称。
- 10月1日:遠軽駅 - 野付牛駅間を区間分離し、石北線に編入。
- 1946年(昭和21年)3月1日:安国駅へ駅名改称。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1961年(昭和36年)4月1日:所属路線が石北本線に改称。
- 1982年(昭和57年)11月15日:貨物取扱い廃止。
- 1983年(昭和58年)
- 1月10日:荷物取扱い廃止。CTC導入により無人化。
- 3月:跨線橋新設。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承。
- 1989年(平成元年)10月25日:生田原町による「安国駅前再開発事業」の一環により駅舎改築し同日竣工。
駅名の由来
しかし、行政区としては「生野」などの名称がつけられており、1944年(昭和19年)2月11日に、生田原村(当時)で実施された雑多な字名の整理・行政区名との整合に伴い「生野」「下生」「降尾」の3行政区に相当する区域の字名を「安国」(のちに遠軽町発足により「生田原安国」)と改称・整理したため、駅名についても1946年(昭和21年)3月1日に改められた。
この地名は、他の旧生田原町内の字名と同様、当時の村長が神道の「大祓詞(祝詞のひとつ)」に因んだ字名を選んだことに由来し、当地が佐呂間川沿いに往来する人々の休息の地であり、付近が豊穣な農耕地であることから、「安国と平けく」の部分を引用し名付けられた。
石北線・湧別線分岐点の争奪
石北本線の北見峠を含む区間は、先に開通した湧別線(現在の石北本線北見駅 - 遠軽駅間と、名寄本線遠軽駅 - 湧別駅間)から分岐する形で建設されているが、この分岐位置について、1920年(大正9年)ごろに生野(現:安国)と遠軽で争いがあり、生野の住民は当駅で分岐し遠軽市街を経由せず瀬戸瀬へ直行するルート(現在の国道333号に近いルート)を主張した。
誘致運動は関係者が「鉄道狂人」と呼ばれるほど苛烈を極め、双方ともにリーダーが私財を投げ打ち破産状態になるほどであったが、最終的に両者ともに鉄道院当局の裁量に任せることとなり、遠軽が分岐点となった。
その後、1948年(昭和23年)12月11日に国鉄旭川鉄道管理局の一行が当駅付近で測量を実施しているが、これは方向転換を要する遠軽を経由しない短絡線の建設を企図してのものだったとされている。
これを受けて生田原村(当時)は安国から旭峠を越えた先にある佐呂間村・若佐村(いずれも現:佐呂間町)と「石北線路線短絡期成会」を結成しているが、運動は不発に終わっている。
駅構造
網走方に向かって、左手から駅舎・ホーム・1番線・ホーム・2番線と配置した、単式ホーム2面2線の地上駅。
2番線は上下線両方の線路と接するが、上り線専用となっている。互いのホームは跨線橋で連絡している。
駅舎は1989年(平成元年)10月に生田原町が行った「安国駅前再開発事業」の一環で町の物産展示場との合築として改築したものである。
地元のカラマツ集成材を用いた木造平屋建(ログハウス調)となっており、トイレも併設する。
遠軽駅管理の無人駅。
のりば
| 番線 |
路線 |
方向 |
行先 |
| 1 |
■石北本線 |
下り |
北見・網走方面 |
| 2 |
上り |
遠軽・旭川方面 |
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